北 円 堂 仏像
北円堂 北円堂 華麗で力強く、最も美しいと賞賛される堂 日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるこの堂は、興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年 ()8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせたものです。 興福寺伽藍の中では西隅に位置していますが、ここは平城京を一望の下に見渡すことのできる1等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所でした。 治承4年 ()の被災後、承元4年 ()頃に再建されました。 華麗で力強く、組物に三手先斗栱 (みてさきときょう)が使われるなど、創建当初の姿をよく残しており、内陣の天井には中央の大蓮華より光を放つ天蓋 (てんがい)が輝き、組物間の小壁ある彩色された笈形 (おいがた)が特徴的です。 国宝の北円堂だが、普段は遠くから眺めるしかない。今日は特別公開で北円堂の中の仏像を拝むことができる。さすが、運慶一門の作だけのことはある。肌からビンビン感じるものがある。さすがですね。やっぱり仏様はお堂にあってこそだと再認識する。 本像は北円堂の須弥壇中央に本尊として安置される。 『猪熊関白記』の記載と、台座墨書から、建暦2年(年)、運慶一門による造像であることが明らかである。 台座墨書によれば、本像を主に担当したのは上座大仏師の源慶と 慶(静慶または浄慶)である。 カツラ材の寄木造で、本体の主要部は前後左右の4材から彫出する。 本体は指の一部を後補するのみで、造像当初の姿をよく残す。 光背は後補。 台座は裳懸部を後補するほか、おおむね当初のものである。 像内は、地付から20センチほど上、膝頭の高さに棚板があって、像底を塞いでいる。 このように像底近くに棚板状のものを設けるのは運慶派の特徴的な技法で、像内納入品を保持するための工夫とみられる。 興福寺北円堂は平面八角形の形をしたお堂で、運慶作の国宝・弥勒如来坐像や国宝・無著菩薩立像、国宝・世親菩薩立像などが安置されていますが、他にも仏像はあります。 興福寺北円堂に安置されている仏像一覧と、北円堂内部の諸像の配置図を掲載しています。 北円堂の特別公開時に実際に行って感じたことも書いています。 興福寺北円堂の諸像の一覧は? 北円堂の仏像一覧 弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう) 国宝、鎌倉時代、運慶作 大妙相菩薩像(だいみょうぞうぼさつぞう) 室町時代 法苑林菩薩像(ほうおんりんぼさつぞう) 室町時代 無著菩薩立像(むちゃくぼさつりゅうぞう) 国宝、鎌倉時代、運慶作 世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう) 国宝、鎌倉時代、運慶作 興福寺の国宝『 北円堂 』の本尊で、菩薩形で表現されることの多い弥勒菩薩が、56億7千年後に悟りを開いた時の、如来の姿で作られている。 像の中には願文が入っており、建暦2年(年)と書かれている。 弥勒仏のやや後ろ左右に安置される、国宝『 無著菩薩・世親菩薩立像 』は、運慶一門によって数年早く制作されている。 運慶作となっているが、晩年に一門を率いて制作にあたっており、本像は弟子の源慶が中心になって作られた。 台座には源慶のほか、静慶、運賀、運助、運覚、湛慶、康弁、慶運、康勝らの名前が、墨書されている。 この国宝を観るには 北円堂は、通常は開扉されておらず、春と秋の特別拝観でしか観られない。 春はGW前後に2週間程度、秋は10~11月にかけて2週間程度公開されることが多い。 国宝『北円堂』 元の北円堂は、藤原不比等の1周忌である年に元明上皇・元正天皇が長屋王に命じて建てられたもの。 年に焼失し、更に年には平家による焼討にあうが、年に再建されたものが現在まで残っている。 現存する興福寺の堂宇の中では最も古い。 八角形の堂で、内部には同じ八角形の内陣があり、運慶による本尊など仏像9躯が安置されている。 南向き中央に本尊、その左右に脇侍の菩薩2躯、脇侍の後ろやや中央寄りに無著世親像、四天王は四隅の外側向きに安置されている。 八角形の東西南北は扉で間は連子窓になっており、内陣はやや高く周囲は土間になっている。 三手先になった軒や、瓦葺きの屋根中央に水煙が飾られるなど、奈良時代の特色を残して建てられている。 興福寺 国宝『北円堂』 没後年を迎える仏師・運慶にまつわるお話の後、運慶が手がけた国宝仏像が安置される北円堂を貸し切りで拝観します。 北円堂は普段は非 北円堂の開扉は午前9時~午後5時(受付は午後4時45分まで)。 大人円、中高生円、小学生円。 問い合わせは興福寺(・22・)。 鎌倉時代の天才仏師・運慶の仏像が並ぶ北円堂と、父・康慶(こうけい)の傑作がそろう南円堂をともに拝観できる。11月10日まで。 11月10日まで。 北円堂の仏像の中では最も古い年に作られています。 四方向を守護している四天王像は手を伸ばせば届く位置にあり、国宝を間近に見ることができるのも北円堂特別開扉ならではです。 日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるこの堂は、興福寺の創建者藤原不比等の1周忌にあたる養老5年()8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて 北円堂の本尊像で、弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿です。 像内には建暦2年()の年号が書かれた願文などが納入されており、また台座内枠には源慶、静慶、 現在の北円堂は興福寺境内で三重塔と並ぶ最古の建造物ですが、鎌倉時代の再建です。 1 北円堂; 2 本尊・弥勒如来坐像; 3 無著・世親菩薩立像 興福寺の国宝『北円堂』の本尊で、菩薩形で表現されることの多い弥勒菩薩が、56億7千年後に悟りを開いた如来の姿で作られている。 しかしながら、中に安置されている仏像は、両脇侍像と四天王像が入れ替わり、運慶一門の作は中尊の弥勒仏と無著、世親像だけになってしまっているのは、まことに残念なこと 今回は、境内最古の建物の一つで、仏師・運慶の最高傑作の一つともされる本尊の弥勒如来坐像や無著・世親菩薩立像(いずれも国宝)などの仏像を安置する北 本項目興福寺の仏像(こうふくじのぶつぞう)では、奈良県奈良市にある、藤原氏の氏寺・興福寺に 興福寺 > 興福寺の仏像 北円堂の仏像編集.